林 俊範(はやし としのり)
元J. F. C Co., Ltd.代表取締役 ピープルビジネススクール初代学長
日本マクドナルド創業者藤田田氏の右腕として、銀座1号店立ち上げから1千億企業に成長するまでのシステムを構築。退職後、ピープル・ビジネス・スクールを設立。受講生はのべ1万人。生涯を通して日本の中小企業に、人財育成プログラムとピープルビジネスを啓蒙し続けた。
<略 歴>
1946年 島根に生まれる
1971年 日本大学法学部新聞学科卒業
1971年 日本マクドナルド㈱入社
1972年 関西地区展開最高運営責任者米国研修 上級運営コース終了
1977年 企業内研修センター教官 教育・指導訓練
1979年 運営本部海外運営部米国駐在員として米国マクドナルドの運営技術・知識・語学を研修。経営コンサルタントとして11社の実施研修
1982年 運営本部 統括スーパーバイザーとして運営管理体制の整備特命事項等の調査・予算計画の推進・戦略・戦術の策定等
1988年 JFC代表取締役就任 ピープル・ビジネス・スクール創立
2010年 腎不全のため永眠
アメリカ・ハンバーガー大学の卒業証書*林先生所蔵・マクドナルドの記念品
■コンサルタント活動
マクドナルドで体得した仕組みを「利益のピラミッド経営法」として体系化。日本の企業に伝授すべくピープル・ビジネス・スクールを設立。企業への、人財育成と各種教育訓練、マーケティング戦略システムマニュアル化、組織化、人財戦略等を指導。新業種・新業態開発、店舗活性化プログラムの導入を支援した。
<林俊範先生の足跡>
林先生は1971年、藤田田氏が創業した日本マクドナルドに入社。初代統括スーパーバイザーとしてアメリカに渡り、日本人として初めてアメリカ・マクドナルドのハンバーガー大学で、各国のフランチャイジーと共に学ぶ機会が与えられた。創業者のレイ・クロックにも接し薫陶も受けたという。マクドナルド本社のジョン・アサハラ氏の指導の下、アメリカのマニュアルを翻訳して、日本マクドナルドのオペレーションシステムを15年かけて築き上げた。システム導入の成功を区切りとして、ピープルビジネスを日本の中小企業に伝えるために退職。藤田田氏に独立の了解を得る際には、「林君が作った仕組みだからいいよ」と言われたという。但し「店舗開発」と「売上予測システム」を教えることだけは、藤田氏の存命中は許されなかった。
藤田田氏からの色紙。
ピープル・ビジネス・スクールでは、オペレーション・コンサルタントとして、主に企業の「リエンジニアリング(業務改革)」に取り組み、専門職や正社員による業務をパート・アルバイト化することを得意とした。大手給食企業の調理師のパート・アルバイト化や、鉄道車内販売の業務改革、パチンコ店の「くぎ師(釘師)」のパート・アルバイト化なども手掛けた。
*林俊範先生が仕組みのを全体像を表した「繁栄実現の経営の法則」と「利益のピラミッド経営法」(セミナーの机上には必ず置かれていた)
ピープル・ビジネス・スクールで講義する林先生